白堊スポーツ(since2004.9.18)~盛岡一高応援ページ

母校の盛岡一高を熱烈応援! 趣味はウォーキングと読書。よろしくお願いします。

今日の岩手山 @南大橋

街なかに雪がほとんど見られなくなったので今日からノーマルシューズ!

三戸町→上田踏切→中央病院→一高→梨木町踏切→梨木町交差点→夕顔瀬橋→橋市→旭橋→境田製作所→桜城小学校→中央通二丁目交差点→映画館通り→カワトク→開運橋通り→大通三丁目交差点→中央通二丁目交差点→中央通→内丸緑地→中ノ橋→ホットライン肴町→八幡町→盛岡八幡宮→脇道→茶畑→ブックオフ→盛岡バイパス→南大橋→土手道→明治橋→仙北一丁目歩道橋→土手道→雫石川水管橋→盛南大橋→不来方橋→大沢川原【19,006歩12.7㌔】

蜜蜂と遠雷(下)-恩田陸

(2020年10月11日投稿)

評価5(5段階評価)

芳ヶ江国際ピアノコンクールが終わった。マサル、栄伝亜夜、風間塵を含む6人が本選に昇りつめた。風間塵がギフトとなりマサル、亜夜の心を揺さぶる。塵と亜夜は「音楽を世界に連れ出す」ことを約束する。マサルが奏でるプロコフィエフ三番、塵のバルトーク三番、亜夜のプロコフィエフ二番に感激!

音楽と演奏が延々と続く話(著者談)をこれだけの物語に仕上げ、読み手に感動を与える恩田さんの力量に感服、感涙(だから、直木賞と2度目の本屋大賞なんでしょうけど)。コンサートの裏舞台の話も面白かった。元々クラシック好きの私、今度は、プロコフィエフ三番、バルトーク三番、プロコフィエフ二番をBGMに再読したいと思います!久々の一気読み!感動でした!

【追伸】担当編集者・志儀さんの思い出話(解説)も最高!

今日は去年7月以来の盛岡天満宮へ

まずは天満宮入口で岩手山を仰ぐ!

受験シーズンです。たくさんの絵馬が奉納されていました。正直言って、私は今まで一度も神頼みはしたことがありません。

天満宮からバイパスを南下して東中野方面へ向かって沢田橋で折り返し

簗川左岸土手を簗川橋へ向かって南大橋、神子田、鉈屋町方面へ

仁王新町公民館→四ッ家教会→本町通→上ノ橋→二高→盛岡天満宮→不動橋→盛岡バイパス→山王橋→小杉山→岩手県立大学短期大学部寮→盛岡スターレーン→ユニバース→東山→沢田橋→沢田公民館→片岡橋→葛西橋→土手道→簗川橋→南大橋→神子田来福地蔵尊→ユニバース→あさ開→らかん公園→盛岡八幡宮→マルイチ→盛岡バスセンター→ホットライン肴町→中ノ橋【16,907歩11.3㌔】

蜜蜂と遠雷(上)-恩田陸

(2020年10月10日投稿)

評価5(5段階評価)

知る人ぞ知る直木賞と本屋大賞ダブル受賞作品!
ようやく手に取る時が来た!

芳ヶ江国際ピアノコンクールに集う精鋭たち。今は亡き天才ピアニストの申し子・風間塵(16歳)、甦る天才少女・栄伝亜夜(20歳)、大人の魅力・高島明石(29歳)、卓越した音楽性のスター・マサル(18歳)。第1次~3次までの予選、本戦に挑む戦いが始まった!

私的には、亜夜の淡々とした振る舞いからピアノに向かった時のスイッチの入り方が好み。思いがけなく挫折した過去からの不死身の復活を応援したくなる。誰が優勝するんだろう!?誰が芸術性の極みに辿りつけるのだろう!?本から離れられない週末になりそうです(笑)。

中津川北上川合流点近くでなにやら工事をしていた。

何の工事でしょうね!?

西からの強風をものともせずに歩き続けて、川久保のビッグハウスで「どんくらい歩いたべ!?」と思って歩数計を見てみると画面が消えていた!どこを押してもウンともスンとも言わない。電池交換サインが出ていたわけでもないので壊れたのでは・・・と思っている。と、いうことで今日の歩数と距離は歩行時間からの類推。明日以降は万歩計つきの古い携帯を引っ張り出すしかないだろう。

とか、なんとか、しているうちに下ノ橋下流の雪捨て場にたどりついた。

大沢川原→御厩橋→盛岡商工会議所→明治橋→さっこら→小鷹橋→鶴子アンダー→しゃぶしゃぶ温野菜→盛岡西バイパス→トライアル→飯岡新田→もりおか往診クリニック→中津川フーズ→野田踏切→輪っか→津志田西→ビッグハウス→川久保交差点→再販→小鷹橋→さっこら→仙北町→明治橋→南大通→近藤眼科→下ノ橋町→下ノ橋→下橋中学校→川原橋→大沢川原【22,686歩15.2㌔】

海の都の物語(2)-塩野七生

(2020年10月9日投稿)

評価4(5段階評価)

1300年代に入ると、ヴェネツィアは海洋交易国家としての地位を確固たるものとする。その要因には次のようなものを上げることができる。

①定期航路確立
②海上法の制定(海上裁判所)
③航海技術の発達(羅針盤、航海図、航路早見表)
④船舶の進化
⑤簿記の普及(発明はトスカーナ地方のプラートの商人だが、複式簿記に改良したのはヴェネツィア人)
⑥アラビア数字の活用(1200年代初めにピサ人がヨーロッパに広める)
⑦ヴェネツィア人による銀行の創設
⑧中小商人保護育成政策

そして、元首ピエトロ・グラデニーゴは1297年政治改革案を発表し、共和国にして貴族制を持つ国家であり、一部の者が権力を握ることのないような合議制による政体を創り上げたのであった。

貴族制といっても政治は貴族にまかせつつ、権力の集中を招かないようにかなり複雑な運用を駆使したヴェネツィア独特の国家運営だったようです。この辺がフィレンツェやジェノバとの違いらしい。「複式簿記に改良」とは、ヴェネツィア人恐るべし!

海の都の物語(1)-塩野七生

(2020年10月7日投稿)

評価4(5段階評価)

452年フン族に追われイタリア半島北東の沼沢地帯に居を構えたヴェネツィア人はやむなくビザンチン帝国の属国として生きる道を選ぶ。その後、持ち前の合理性を発揮し「はじめに商売ありき」のリアリスト集団は一千年の長きに渡り地中海世界に海洋貿易国として君臨する。

西の神聖ローマ帝国、東のビザンチン帝国に挟まれて生き残りを賭けるヴェネツィア共和国のしたたかさが光る。10世紀末には、神聖ローマ帝国とローマ法王の調停役、ビザンチン帝国の西方防衛の肩代わり役となり①地中海の高速道路化②独立の保持を確固たるものとする。

また、元首エンリコ・ダンドロの時、第4次十字軍に参加とともに兵糧、軍船建造、船団輸送の全てを請け負う契約をフランス諸侯と交わし、第1次第2次コンスタンティノープル攻城戦(1203年~1204年)を戦い、ビザンチン帝国首都を陥落に追い込む。こうして、ヴェネツィア人は第4次十字軍という好機を十二分に活用して、交易大国になる地固めを完成させたのであった。

「ローマ人の物語」の勢いで「海の都の物語」(全6巻)シリーズへ突入!寛容のローマ人とは一味違うヴェネツィア人の深謀遠慮に舌を巻く。塩野七生やめられない(笑)!